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相模原障害者施設殺傷事件

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概要

2016年7月26日午前2時頃、神奈川県相模原市緑区の障害者支援施設「津久井やまゆり園」に、同園の元職員である植松聖が侵入し、刃物で入所者らを次々に刺した。入所者19人が死亡し、入所者と職員あわせて27人が負傷した。被疑者は逃走後、津久井警察署に自家用車で出頭し、自分がやったと自供し、血痕の付着した包丁やナイフを所持していたため、緊急逮捕された。

事件の背景として注目され続けているのは、加害者が施設の「外の人間」ではなく、内部で働いていた経験を持つ点である。植松は2016年2月19日まで同園の常勤職員として勤務していた。事件前の2016年2月、衆議院議長公邸を訪れて、やまゆり園を名指しし、犯行を予告する趣旨の手紙を手渡したとされる。また同時期、施設職員に対して「重度障害者を殺す」などの発言をしたとされ、警察への通報を経て、緊急措置入院・措置入院となり、その後に措置解除され退院した経緯が公的な声明でも整理されている。加害者本人は、重度障害者の存在を否定し、安楽死を求める趣旨の主張を繰り返していた。

裁判では責任能力が争点となったが、横浜地裁は2020年3月16日に死刑判決を言い渡し、完全責任能力を認定した。判決は、加害者が「意思疎通ができないと考える重度障害者は不幸で、周囲も不幸にする不要な存在である」といった考えに基づき、多数を殺害する目的で施設に侵入したとする動機づけを示している。2020年3月30日、被告が控訴を取り下げたことで死刑が確定した。事件は、多数の生命が奪われた事実に加え、加害者が“正当化の言葉”を用いて命の選別を語った点で、社会に長く重い問いを残している。

公判では責任能力が争点となったが、2020年3月16日、横浜地裁は完全責任能力を認めて死刑判決を言い渡した。弁護人の控訴は本人の意思で取り下げられ、死刑が確定した。だが、判決が出ても残るのは、亡くなった19人の生活史と、生き残った人たち・職員が抱え続ける「その夜」の記憶である。加害者の思想が突き刺したのは身体だけではなく、「この社会で生きてよいのか」という根源的な安心そのものだった。

論点

・加害者の「人を選別してよい」という考えは、どのように形成・強化されたのか
 勤務経験や周囲との関係の中で、どんな言葉や出来事がその考えを固定化させたのか。

・「犯行を予告する趣旨の手紙」や周囲への発言は、どのように受け止められ、何がすれ違ったのか
 “危険な兆候”を見た人がいたとき、本人への働きかけや周囲の関わり方はどうあるべきか。

・被害者の尊厳を守りながら、事件を社会が記憶し続けるには何が必要か
 悲劇の「消費」にならず、当事者の生活史が置き去りにならない語り方は可能か。

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